ベクトルの方向
分かれ道はたったそれだけだったのかもしれない。
僕が南米にいた頃、
2人の”天才”に出会いました。
1人はいわゆる、”天才”
才能豊かなサッカーの申し子のような”天才”でした。
そして、もう1人の”天才”
彼は、非力さを認めた”努力の天才”でした。
彼らも彼らなりに
その時に壁にぶつかっていました。
それぞれが
壁にぶつかっている中で、口にする言葉は対照的でした。
サッカーの申し子のような”天才”は、
なんで監督は…なんであいつなんかが…あいつより俺の方が…
一方、非力さを認めた”努力の天才”は、
認めてもらえるよう頑張るしか無い、と黙々と努力していました。
ベクトルの向いた方向が、
自分の外側だったのか、それとも内側だったのか、が違いでした。
その時点で、2人の天才はほぼ同じレベルか、
どちらかといえば、サッカーの申し子のような”天才”が少し上でした。
しかし、数年後、
その2人のレベルは逆転していました。
ベクトルの向いた方向が内側だった”努力の天才”は、
その後も努力を積み重ね大きな結果を残すことになりました。
変えられないかもしれない外側に目を向けるより、
必ず変えられる内側に目を向けた方が、良くなりそうですよね。
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